今年4つ目の一筋の偶然、
昨日の夜、流れ星を見た・・・・。

もう長い間・・・・・
10年以上も前から、
理由のない意識から
月や星や雲の流れに引き寄せられて、

     ただ、無心のままにたたずむ。


数日前の旅先では、
陽が沈んで間もない山の稜線の上の
      まだ青空を残した新鮮な夜空に、
満月の月がオレンジ色に低く浮かんで、

茶と黒の雲が混ざりあう
        空もように見とれて、

一緒にいた友人に
・・・・・今日は、なにか恐ろしい、そして美しい夕陽だね
と言いながら
                    
もしかしたら、
これが人生の最後になるかもしれないから、
       少し立ち止まって見ていようか?
              と、茶化して話しかけていた。

自分は、
空の偶然に圧倒される時、
       いつも死を連想してしまう。

人は死ぬ時、一体どんなふうに消えてしまうのだろうか?

・・・きっとこんなふうだと考えている・・・。

仰向けに横になった最後の瞬間は、
       おそらく微妙なズレがあるに違いない。

まず、耳が聞こえなくなって、音が死ぬ。
        物に触れる感覚が消えて皮膚が死に、
             匂いが消えて、嗅覚がなくなり、
味覚が・・・・・視覚が終わり、
そして最後に思考が途切れて・・・・・
            それで自分の全てが終わるのだ。

自分を構成している感覚が、
       順を追って消えゆく流れがあるのではないか?

それは、自分を束ねていた、
 感覚を、空に返してゆくような・・・・・・・
     あるいは空が吸い込んでゆくような気がして・・・

もし、魂とか輪廻転生とかいうものがあるのなら、
自分一つ一つの感覚を、大気の中へ、
   大地のはるか上空へひとつ。またひとつと、
         返してゆくことなのだろうか・・・

漠然と、

空を見上げなければならない行為は、
           いずれ訪れるであろう、

その時の覚悟のように思えてしまう。

そうして、

また、新たな生命が誕生するとき、
何億、何千億とちりばめられた、
感覚を集めて、束ねて
組み合わせた新しい個性の命が、地上に舞いもどってくる・・・・・

新しく生まれた個性は、
与えられた命をまっとうしながら、
その感覚を、
さらに進化させたり、退化させたりしながら、

     また別な形として、解き放たれてゆく・・・・

輪廻転生とは、
  そうした繰り返しなのだと、
思い描くなかで・・・・・

今から9年前。
   泥の円空を荒土で塗りあげたとき、
      小林編集長がこの壁を見て、こう表現をした。

塗り壁の美学。 ≪怒る土≫

歯ぎしり 
唾し ゆききする
私は一人の修羅なのだ
真言の言葉はここになく
修羅の涙は 土に降る・・・・・。

いかりの苦さ また青さ・・・・・真言の言葉は失われ
雲はちぎれて空を飛ぶ・・・・・

このページの編集を見た時、
頭の芯の方で突き刺さるような
  心の底に重い石を置かれたような、
      感覚が走ったことを忘れない・・・・。

実は、

恥ずかしい話だが、それまで、
『宮沢賢治って聞いたことはあるけど、どんな人?』…と、
のうてんきに人に聞いている、そんな無知な自分だったが

この、わずか数行の言葉が
       自分を揺さぶり、

眼の奥で、カッと開いたかのような・・・・                            表せない感覚が今も残っている

以来、
何かに自分の一部を、支配されて、
     つき動かされているような感覚があるのだ。

日常の平凡な風景を、
【 これが最後の目 】として見渡すと、
    普段、なんでもなかった物が、きらめいて、輝きはじめる。

廃墟のように過疎した山村に見かける
納屋小屋の朽ちかけたブリキの錆ひとつが、
          深く、底がないように見えたり、

日常風景に立つ鉄塔が、
   4つ足と6つの手のある不思議な物に
     その度に楔につなぎとめられてしまい・・・・

その相対に、
うつろいは、より鮮明となってきわ立ってくる。


雑草の、

つややかな葉表が光を反射させて、そよぐさまに、

田植えの終わった水田の苗がやがて、
  穂を実らせるまでの、成長が、

そら怖ろしく見える
自分を追い込んでいるように見えて怖くなる。

極細の三日月の深夜に向きあうと・・・
    ちゃんと見ろ、『これで終わりだぞ!』
             と、聞こえてくるような・・・・

かげり・・・・・ 
ゆらぎ・・・・・・

真実とは、見えないもの?
真っ青な空に流れる透明な風を、
   とらえることはできないものか?と眺めている。

自分を取り巻く環境に敏感に
 自分の中にある【 賢治のような片目 】を、都会のひかりやビルの群像に
  飛騨の闇と四季のなかでさらに開き、心象にふるえること

決めつけない視線の先に、
     あらたな、別の、自分の世界があるかもしれない

なにかがあると信じて
苦しくも、たのしくも、突き当たるところまで、進むしかない。