数年前まで、いわゆる刑務所の出入りを繰り返し、これまでの長い人生の大半以上を過ごしてしまった人物が、約4年間に渡り、この自分につかえていたことがある。

関東出身、生まれながらの天涯孤独、その昔の、その道とやらの修行で徹底的に仕込まれてきた礼儀作法のせいか、言葉使いや折り目正しさ、そして何よりも清掃と整理整頓が、身に染み付いている働き者であった。
あちらこちらから書類や本を引っ張り出し、ベニア板で作った、
散らけ放題の自分の事務所の机はいつも整理され、濡れ雑巾で磨かれていた事を思い出す。


しかし一方では、きらびやかな服や、ピカピカのライター、ガラスのケースといった華やかな物に対する執着心が異常に強く、左官という対極的な土壁を塗る世界で、果たしてどこまで続くものやら・・と疑問であった。

そうして数年が過ぎ、都心からの仕事の依頼があり出張をする事となった。
眩しいほどの照明に、磨かれた床の大理石や、仕切られたガラスのスクリーンに囲まれた中で仕事を終え、岐路に着いた夜の事であった。

ぼんやりとした燈光機の光で、100以上に及ぶ土壁のサンプルを並べたプレハブの事務所の中、いつものように濡れ雑巾で机を拭き終えて腰をおろし、タバコをふかしながら、彼がしんみりとこう言った。

『親方、あの物件、確かに立派だけど何だか薄っぺらで、疲れが来ていけないね、やっぱりどう転んでもこっちには勝てねえ。』  

自分は、『・・・そうか?』 と、あえてさらり聞き流していたが・・・。その時、確信した物があった。
なんのしがらみも、学歴もない彼が、無意識のうちに、感じ取っていた本能的な反応・・・
土壁のサンプルの中で働き、そこに生まれる柔らかな空気が、知らぬ間に彼に染み入り、彼自身の感覚を変えていたことを。

規格化され、圧縮や印刷によって均一に計算どうりに形成されてゆく現代の空間。
塗り壁は、土を主にして、砂や自然の繊維や、四季折々の天然素材を水で繋げて一つにし、職人。すなわち人の手いっぱいの能力で計算し、塗られるが、それで終わらず、繋げた水が抜けるとき、乾燥と同時に我々を超えた粗面の肌合が、その壁の中で生み出されてゆく事。

それは、自然と人間とのリレーのようにも思える、まず自然の素材の存在があり、それらを集め水で繋げる人間、その水を風や光がさらう事で、自然が最後の仕上げを決めて行く。
まさに人の手を介したあと、さらに超えてゆくのだ。
こうして、自然を介して仕上がってゆく左官塗り壁は、
いうなれば計り切れない賜物だと言いたい。

光は、1ミリにも満たない砂の一粒一粒を、泥のきわめて微細なひび割れを浮き立たせ、
あるいはその影を生み出し、柔らかな深みを伝えてくるようでもある。

これは私の勝手な感じ方かもしれないが、工業的なパネルやガラスは、その物を見た瞬間と同時に、自分達の視界に跳ね返ってくるのに対し、土壁はその厚みの分だけ、人間の視線を吸い込んだあと、時差をつくり返ってくるような柔らかさを持っている。
見る、とは、単なる表面だけを捉えているのではなく、
下塗り、中塗り、上塗りと重ねられたその物の厚みを、感じ取る事に他ならない。
それこそが、私達の言う空間の空気感という、捕らえ方になるのではないだろうか?

人間の根底には、単純にして複雑な、柔らかでいて深みを持つものに、
抱かれ癒されるものがあるとしたら、
それは、青く深い海を、いつのまにか眺め続けてしまうように・・・・
一面の雪原に雑多な感情や、言葉を失う静寂な時を感じるように・・・・・
人は心を奪われてしまうのだろう。
左官仕上の工法の多様さは、掻き落とす事は風を、
洗い出す事は雨を、ひび割れる事は光と水を物語ることができる。
そうした自然観を取り込み、切り取る事が出来る世界が、
唯一、左官塗り壁の中に潜んでいる。