これを話すと人は笑うかもしれない、
しかし、ひねくれながらも、今ここで生き残っている俺は・・・

真面目になって断言したい!

今の俺。
土壁は矢沢抜きには有り得ないと本気で思っているのだ。

振り返れば・・・

単身気の強さだけを武器にしていた熊本、名古屋の修行時代も、
億という金と、冷酷で陰湿な人間関係の中で、
なりふり構わず荒れ狂っていた大手ゼネコン時代も、
しがらみや、プライドを捨てて飛び出した挑戦の今も
              『泥』・土との対話を始めたあの頃も・・・・・・  


そう、あの頃もあの頃も・・・
俺は潰されそうになりながらも、立ち続ける事ができている。

長く重い、苦しい過去・・・
・・・人の冷めた目、孤独、葛藤、矛盾、何が判らないのかさえ判らない日々。

俺はそんな日々の中を、
矢沢のロック。
ハスキーボイスに、血をたぎらせながら自分を重ねてきた。

ひとり崖っぷちの正念場や、
      孤独な夜の静寂に、
        吹き上げる哀愁とジレンマをバラードで癒し、

どれほど救われてきた事か分からない・・・・
               まさに矢沢と共に生きてきた。

闇へ闇へと、車を走らせ、
    漆黒の中で響かせる矢沢と、
     いつも疲れ果てるまで一緒に叫び、

悲しみを焼き尽くそうと、
どれだけ走り続けているかわからない。

その内に、ノドの痛みと、
  ストレスが最高に達すると決まってもよおす。
   
・・・・路肩の草むらに一人ひざまずいて、
       体が納得するまで嘔吐する・・・・。

体の調子が悪いのではない。

多分、人への恨みや自分に対する歯がゆさ、
      迷える感情を精神が壊れる前に少しでも吐き出す、
そんな自分流の解消法のすべを繰り返す毎日。

そうして、運転席にもどり、
血走って濡れた赤い眼をバックミラー越しに見ると、

ああ、狂ってるなあ

いつも諦めと脱力感に覆われ、
     バラードに重ねて現実に戻ってゆく・・・。

日の光、陽射しは会社。 
その中では、全てが戦いと言ってよかった。

自分を固め、
跳ね返していかなければ潰されてしまう。

月夜、闇は自分。
唯一、矢沢の歌に自分を開き解放することでバランスを保っていた。 

頭の芯まで、
 つんざく様なエレキの音は、
  心の中に氷のようにはびこって固まった憎しみと、
   組織の中で貼り付けにされ、鎖で縛られた施錠を粉々に
                爆破してくれるように思えた。

どんなにボリュームを上げても足りなかった。

エレキの音がもっと欲しい・・・・・・
  爆破のようなリズムで耳鳴りを突き破り、
     頭蓋骨まで届かせれば、
       体中がしびれて抜けて頭の芯まで麻痺させられる。
矢沢の叫びは、良いとか悪いとかではない。
“魂”・・・ここに居るという存在の表現そのものに対する、
                 あこがれだと言うしかない。

吐き出るしぶきのような唾、流れる汗。
   自分自身に陶酔し入り込んでしまった、
      セクシーで激しいむき出しの感情は、
         強烈でそして切ない野生の雄叫びのようだ・・・ 

自分はそんな矢沢永吉を目を閉じ、
ひたすらに、わずかなブレスまで感じ取りたいとまで思う・・・

矢沢永吉こそは現代に生まれた唯一の野性、
             雄叫びであり、生きるという証。

人間と言う生き物。感情を持った楽器と言うにふさわしい・・・。

そして今も尚、
歳を重ねるごとに比例して豊かで自由で深みを増しつつ
                  声帯をも進化させている。

俺が見つめる矢沢とは
表面的な彼の姿形ではなく、もっともっとその内面にあるもの。

彼の奥深くにひそんだ 
人間の持つ逃げようの無い泥沼の美学。
そして鈍く強く、もろくも鋭いハガネのような生の美学である。

毎年11月末、名古屋レインボーホールの2日間。
例え僅かではあっても彼と同じ時間を共有することで、
     目の前にいる永ちゃんの声を体中に浸透させ、
              自分の一年を終えてきた自分。

そんな中で、春とはいえ飛騨の肌寒い3月。
孤立の末に選んだ独立の決意は、何処まで持ちこたえられるか? 

・・・・・そんな捨て身の状態・・・・・。

不安と恐ろしさが渦巻く頭の中に、
これだけは、と、浮かび上がっていた思いがあった。

もし11月まで、この秀平組職人衆が、つぶされる事なく、
                存在していられたなら・・・

チケットを握り、レインボーホールに行くことが【生きた証】。

生々しい自分として、矢沢をコールすることを誇りとしたい。
    そんな、ささやかな夢が、最大の夢であったことを思い出す。

そして2001年11月。
着飾って、名古屋に向けた高速に、
鳥肌がいっこうに納まらず矢沢に向かった。

会場に立った時、コンサートが、まだ始まる前から、
        周りの人達の体裁やプライドも関係なく、

止めどもなく、ボロボロに泣けて仕方がなかった。

自分で生きた、
  自分がこの場所に、
     いられることの喜びに・・・・・

今、?悲しみを焼き尽くせ!?と感情が止まらない・・・・

そして、いつか? 
   この先も立ち続ける事ができたなら、
自分の手で矢沢永吉のステージを飾りたい。

それが、
自由になった自分の誇りとして、
            最大の夢を見続けたい。