数年前。
9・11、あのワールドトレードセンターの跡地への提案として、

その犠牲者、
世界90ヶ国、約3千人の出身地の土をニューヨークに集めて
             鎮魂の大地を作り、そこに各国の土を積層し、
          
突き固めた塔を作って、平和に対する祈りを捧げる。

そんな意味を込めた設計コンペに、名工大の助教授と参加したことがある。


結局それは、
叶う事のない夢として終わったが、
それが1つのきっかけとなり、自分のなかで、
なにか世界の土を使った
平和的で、ほのぼのとする様なイベントというか、
          物つくりのような事ができるんじゃないか?

そんな思いが、特に膨らむわけでもなかったが、消えることなく
                  心の中に残りつづけていた。

2年前。場所はアリゾナ。

各州から集まったネイテイブビルダーという人達〔約30人〕から招かれ、日本の左官技能を披露するワークショップを経験したことがある。

当時、言葉や気候条件の違い、生活習慣も考え方も多種多様ななかで、
いくら通訳がいるとはいえ、どこまで伝わるだろうか?

と、神経をすり減らしたものだったが、
    分からないなりに通じ合えた素晴らしい思い出がある。

それを、
今でも人生最高の冒険だったと、振り返り、思いに浸るとき・・・・

なぜ、上手くいったのか? も同時に考えている・・・

もちろん、まわりの人達の配慮があったことに加え、
 土や水、〔泥〕が、国や人種や思想を超えた、始源の言葉、
         音なき言葉として伝わっていたのだと思う。

作物を作る〔生きる為の土〕、
人生の別れ〔弔う土〕、
幼き頃に遊び戯れてきた〔滑らかでやさしい土〕、
たぶん、そうした誰もが経験している共通の体験が、
       言葉や温かさとなって伝わっていたに違いない。

そう考えると、
全世界を巻き込み、子供から大人まで一目瞭然、
納得のいく平和的なイベントが
   【土】という素材だから出来るのではないか・・・?

・・・そんな、夢を見てしまう・・・。

数ヶ月前から。
これまで、自分が集めて来た、赤や黄や紺や白い土を使い、
土そのもの100%で出来たピカピカの泥団子を手の平サイズで、
                   たくさん作っている。

その内に、
赤と黄の入り混ざったマーブル模様の泥団子や、
      手まりのような可愛らしい団子もできはじめてきた。

最近アリゾナから持ち帰った、濃いブラウンの土と、
日本のアイボリーの土で不思議な縞模様の泥団子ができあがった。

土という無垢の素材力に加え、
手の平の中でくるくると団子を丸めていると、
誰もが皆、不思議と無心な笑顔を見せはじめ、
やがてピカピカに光り、

出来上がった人々の満ち足りた表情に、言葉はいらない。

今、この揺れ動く世界情勢の中だからこそ

ひとつの土、泥の団子から
 国境を越えた人間的な何かを提案しできないだろうか・・・? 

土=地球=自然と考え、
団子を丸める事で、我々人間と、
 美しくも、かけがえのない地球を暗示するような・・・なにか。

そうして、
北朝鮮やアメリカ、イスラム圏とキリスト圏、

そんな現状の中で起きている、
あらゆる様々な矛盾を丸めた美しい泥団子を、
世界中の人々を集め体験させ、手を取り合うようなイベントを・・・・

丸めた泥を地球と考えて展示し、
  提案する事が出来たなら、どんなに素敵なことだろう・・・。
             
そんな、途方もない夢が、
            今、芽生えている。